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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第015号 ’99−10−01★
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★★★号外:ご購読者の皆様へ★★★
第13号末尾で、「この私がコーチします」としましたが、私としてそれは、
「このマガジンで」を意味したつもりではありませんでした。しかしながら、
記述不十分のため、「、、にも拘わらず第14号以降に、技法の解説がない
ではないか」、というお叱りを頂いてしまいました。 お詫びいたします。
この点について、次のように補わせて頂きます。どうぞ、ご了解下さい。
1
「おたすけマン」が主に用いる技法は、ケプナーとトレゴーが開発した
" Rational Process " ですが、それに限るわけではありません。また、
このマガジンは、それを体系的に解説するためのものではありません。
2
「おたすけ」する方法については、HPでご覧下さい。
3
" Rational Process " だけを早く知りたい方には、ケプナー、トレゴー共著
の " The New Rational Manager " をお奨めします。現時点、アマゾンでは、
$15.95/Special Order, usually 4-6weeks です。
4
訳本は産能大、昭和60年初版、「新・管理者の判断力」、当時2500円。
今でも取り寄せで入手可能と思います。ただし私見ですが、翻訳は必ずしも
正確ではなく、理解しにくいところが多々あります。が、お読みになって、
「この箇所」と明示してご質問下されば、私なりに解説を提供することは
可能です。本来は、それを「おたすけ」するためのHPではありませんが、、
5
と申しますのは、本で読み、「ハア、そういうものか」と分かったとしても、
実際にはなかなか「使える」ものでは(技法は何によらず)ないからです。
基本的に私は、「一般教養」のための「おたすけ」は致しません。
6
ただしHP「お手伝いの方法」のように、メール交換方式で行きますと、
問題の解決と同時に、自ずと技法も理解されるはずです。これには、私の
将来的計画である distance learning 方式の可能性を確かめる意味もあり、
現在 Free としておりますのは、そのご協力へのお礼でもあります。
ちなみにEM法の場合、2日または3日のコースがあり、それへの
個人参加費用は約10万円。しかし知る限り、それでマスターされ、
以後バリバリ、、という方はいらっしゃいません。それが(HPで
申しておりますように)ネットを介してのサポートを始めた理由で
もあります。 以上
★★★竹島元一★★★
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管理職の参考書
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●真新しい本を買う、
あのワクワクする気分。まだ読んでもいないのに、もう何か頭が良くなった
ような感じ。それが学生時代と全く変わらない。アップ・グレードの喜び?
本を開き、鼻を近づけ、紙やインクの香りを吸い込む、、、。 フー、、、。
しかしその内容を、どこまで咀嚼できるか、活用可能な知識として蓄えること
になるか、さらにそれ以上、日常業務に反映させられるか、となると、個人差
もあるにせよ、たいした割合は期待できないかも知れませんね、、、
*
読書の秋、、、とばかり書き始めたのですが、例によって、たちまち反省。
こりゃどう見ても、ハウツーものベースだわ。 お里が知れる、ですな。
* *
理科系プラグマティズム、と自称しておりますが、何かの役立ちがあるものに
だけ価値を認める、そんな心理が働いてしまう傾向が、私にはあると思います。
学生時代の教科書、参考書、どれをとっても、全部ハウツーでしたからね。
良い学生であったのが運の尽き。 (どうも、学校制度が良くないな)
卒業して、製造現場での生活。そこで役立つ本と言えば、当然ハウツーもの。
どれもうなずけるし、どんなカケラを用いても進歩があり、目に見える。で、
ますます面白くなる。 その循環、、の人生前半でした。
HPにも記述しましたが、技法は何であれ、自分の使い勝手に合わせ、多少
ともカスタマイズして用いるのでなければ、本当には役立ちません。それの
上手下手にもよりますが、コントロールという管理に関わる参考書の場合、
5割くらいは比較的すぐに生かせるのではあるまいか。 「話半分」?!
大先生のご指導を仰ぐには、紹介者への手土産だけでも千円札何枚かとぶ。
それに比べ、ハウツーものは安い! 大先生積年のノウ・ハウが、ハード・
コピーで頂けるのですから! 手土産より少ない金額で手に入る1冊の本、
それに100%以上の見返りを望む、、、そりゃムシが良すぎますぜ。
以上、「お里」の説明。
* * *
コントロール系管理は、要するに「こうすりゃ、こうなる。だから、これに
しましょう」。その種の考えや知識は、分野を問わず、体系に組みやすい。
従って、マニュアルや参考書の形にも作りやすい。出版社にしても、単行本
でよし、シリーズにしてよし。 本がたくさん出るわけです。
内容は多く業務レベルで、難しすぎて理解できないということは少ないし、
特にコンピュータ関連でもなければ、僅かの月日で過激な変化が生じたり、
その結果その本が全く役立たなくなる、ということはない。時に改訂新版で
補うことはあっても、たいていはそのまま売り続けることが出来ます。
読者の方も、その種の本を読めば、歩留まりはともかく、用いて得な実際的
知識が手に入ることは間違いありません。「知るは楽しみなり」、心の満足
は決して小さくないし、また、キリが無い。 だから、売れます。
読めば得する、とは即ち、読まなきゃ損するということ。誰かはすでに読み、
もう何か始めているのではないか、と不安になる。当面不要の本も、いずれ
必要になる、そのうち読もう、など考えて買ってしまう。 売れます。
評判が高まれば、職場備え付け図書にも加えよう、とか、一括購入して皆に
読ませよう、で、法人需要も発生します。それが必ず読まれるとは限らない
のですが、、 とにかく買ってくれます。 やはり売れます。
***************
●マネジメント系管理の本は、
ほとんどそれの正反対です。「そうしたのに、そうならなかった。それで、
どうする?」のための材料ですから、たいてい<事例の紹介>になります。
<事例>は個別の人間、またはその集合体の行動。どれにも特定の条件が
伴うので、一律には論じられません。 シリーズものにはなりにくい。
*
例を挙げれば、トム・ピーターズ。「エクセレント・カンパニー」以来、
「エクセレント・リーダー」、「経営革命」、「経営破壊」など、やや
シリーズものめいた眺め@ではありますが、、、 ちょっと具合が悪い。
ご存じ「エクセレント」と書かれた「カンパニー」が、何年と経たずに
エクセレントでなくなったり、姿が変わったり。 その気で読んだ私は
バカでした、、と嘆く間もなく次の本が出る。 ハイ今までのはご破算、
これからはこれ! 付き合う読者はクタビレルが、著者はへこたれない。
悪びれもせず、飽くことなく、さらなる発見に挑んでおります。
@:訳本のタイトルが、シリーズ風に付けられているせいでしょう。
原題では、ピーターズの模索的、追求的姿勢が印象づけられ、
それはむしろ、あるべき姿ではないかとすら私には思えます。
* *
いや、そこにこそマネジメントという管理の特性が反映されている、と見る
べきかも知れません。時代相の変化に合わせ、いま、いやこれから、我々は
何をすることが必要か、と考えるのがマネジメントですからね。その「何」
の変わり方が今は激しい。だから何をとらえ、どう伝えるかが容易でない、
というところをピーターズ氏が「実演」してくれているわけでもあります。
この種の本は、陳腐化が速いのです。ピーターズ・シリーズは、一つの典型
に過ぎません。だから長くは売れないし、改訂はナンセンス。その結果どう
しても、キワモノめいた印象が伴ってしまう。中身が真面目な話であっても、
です。 それに加え、我が国の場合、たいていは翻訳ものですから、
* * *
読者にすれば、まず「ふーん、向こうじゃそうなんだねえ、」のガラス越し
感覚。次に「これ、その会社では、ってことでしょ?」。 他社の事例など
急には取り入れようが無い。 もちろん、それにも一理ありますが、、。
取り入れるといいな、という部分がたまたまあっても、「待てよ、これは私
の職分じゃない。さて、誰を動かすと言っても、それは上の人の仕事だな。
しかしこれ、申し出ても、、」とか。で結局、現実化せずに終わる。つまり
「一般教養」どまり、もし口から出ても知的話題の域。
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●マネジメント書を読んで
役立たせることが出来るのは、誰よりもトップ自身のはず、と私は思うが、
、、お読みになるのかな? 中に読書家も少なくないのだから、疑っては
失礼なのですが、、 あまり期待すべくも無いような、、。
*
たとえばその名も「プレジデント」なる雑誌。この頃はさすがに、前ほど
頻繁ではないようですが、あれに「般若心経」の特集が何度組まれたこと
か。帝国海軍の話も同様です。戦国時代の武将の話も。そういうのが読者
にウケる、と見込むから載せるのでしょうけれど。
つまり、トップないしその周辺で、とかく精神論が好まれるということで
しょうな。しかし、それを口になさる場合は、具体的な指示を欠くお話に
なるわけで、聞かされる方、反対はしないが実行できるものでもない。
一方、お読みになる精神論、これは何に役立つのか、、 たとえば、、、
積極的に権限を委譲なさった。が、結果の責任はご自身が負われる覚悟。
で、部下を見守っていらっしゃると、胃袋が痛む思いの毎日。 だから、
日ごろの精神修養が大切で、、、とか。 えー? ホントかなあ。
* *
現実の経営者(で私が知っている、となればそう大きな企業のトップでは
ない、ということ)においては、絶対多数的に、目よりも耳、でしょうな。
直感的、あるいは時に動物感覚的、というか右脳先行型。 読む、考える、
などの段階をよく省略なさいます。 いきなり結論が出てしまう。
お忙しいからでしょうが、理詰めの話が喜ばれることは滅多にありません。
クドイのはいかんよ、きみ。 大切なのはヒラメキだ、ひらめき!
多くは、断片的耳学問。情報源は、どこぞの会合、お知り合いの某権威者、
顧客企業のトップなど。耳に入れるや、「そうでなくちゃ!ウチも、、」。
一緒に得したいだけ、相変わらずの<横並び>センス。
うまい話にはすぐノル。善は急げ、か。改むるに憚りなし、と言えば立派
だが、実はおっしゃることが変わるだけ。まわりは「いつもの朝令暮改だ
ろう」と本気にしないが、ご本尊様は「君子豹変す、だ」。 結構本気。
チャランポランだけ、という説もあって、それには「改」も「変」も無い。
* * *
精力的な経営者。何やら頼もしいが、ご指示ばかり精力的なのは困ります。
前のが未だ形になっていないのに、もう次の何かに飛びついてしまわれる。
セッカチなのか、欲張りなのか。 たいていは両方ですがね。
前のが未だ、、、と渋れば、「今はこれが一番大切だ。何でほかのことに
構っておるか?!」みたいな話になる。機関銃のように、どころか、あと
から出たタマが前のを追い越さなきゃ気が済まない、とおっしゃる。
(そりゃ、物理的に不可能ですぜ。)
それほど大切ならどうぞご自分で、と申し上げたいが、みずから手を下す
ことはなさらない。何事もある程度の期間、一途に取り組まなくては成就
しないものですが、そんな余裕、ご本尊は初めからお持ちでない、、、。
* * * *
珍しく書物を手になさる。と、これがまあ拾い読み、いやイイトコドリ。
「ここんとこ、読んでくれ。ウチもこれで行こうや」とか、、。前後との
整合など、まるで気にも止められない。 おお、大胆不敵! 楽観的?
「お山の大将」時代の私も、やや同類でした。が、エヘン、世の常と少し
違っていました。読む量が多かった、咀嚼した、ただちに率先実行した。
まず自分から行ないを改めてしまうのです。 いわば知行合一、ですな。
それも宣言付き。「今までこう言ってたが、このたび気づいた。これから
こうする。君らもそうしてくれ。」 どのみち、人生は実験ですからな。
そこでは一番の能力者、一番働き者の私が自分の実行方針として宣言する
だけでなく、「そっちはどう?」、「こんな具合かね?」、など絶えず声
をかけて促すので、一同、ついて来ないわけに行きません。
単に「参考のため、、」、「参考になりました」の「参考」書にしたこと
が無い。信念と実行、それが成果につながります。目に見えるので、彼ら
も納得する。そこから共々さらに、読もう、試そう、の好循環に入るわけ。
もちろん、運が良かった、ツイテいた、のだとも思いますが。
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●そんな本好きの私
も立ち読みしただけで、買わなかったのがあります。「経営者育成ハンド
ブック」なるアメリカ原書の翻訳本でした。経営者としてはカケダシの頃
で、いかにあるべきかを四六時中考えていましたから、ヒントなら何でも
欲しかった。けれども、この本はやめにしました。 開くやいきなり、
「経営者に求められるのは神性である。」
パンチを食らったからです。そんなの、私には無理な話。出来ない約束は
したくない、致しません。 あっさりギブ・アップ。
原典にはどう出ていたのやら、divine nature とでも? 神性、トンデモ
ナイ!中学時代から父親の手先になり、賄賂の入った封筒を客先担当者へ
届ける役などもさせられ、世の中きれい事じゃ済まないんだ、と思い知ら
されていましたから。 「人間」のレベルを達成するだけでも、精一杯。
*
しかし後年、アメリカ中堅企業を尋ねた時、もちろん神様ではなくて人間
でしたが、こりゃイエス様の一族だと思わされたくらいの経営者に何人か
出会いましたよ。 ヒョッとして彼ら、あの本で学んだのかも知れない。
袖の下なんか使いたくない、接待もしたくない、、で、自社製品の開発を
夢見ていた私ですから、たちまち彼ら「神様もどき」に憧れました。当然、
手近な方法である書物を通じて、彼らの世界の探求にふけったものです。
求めよ、さらば与えられん。「私の聖書」を得たのは、昭和43年末近く
のことでした。
***************
それは、、と書き続けたいところですが、長すぎるお話はかえってご迷惑。
以下、次回に譲ります。
■竹島元一■
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